ポルシェと日本の関係

ポルシェと日本の関係

ポルシェ ジャパンの20年

ポルシェ ジャパン株式会社は、2018年1月1日に設立から20周年を迎えました。東京港区に本社を構えるこの企業は、ポルシェ本社が100%出資する正規インポーターとして、ポルシェの魅力を日本に広めてきました。1998年に911(タイプ996)とボクスター(タイプ986)の2車種でスタートしたポルシェ ジャパンですが、その後のカイエン、パナメーラ、マカンの導入により、マーケットを拡大し続けています。特に2002年のカイエンの導入は、日本市場におけるポルシェの人気を一気に押し上げました。

現在では、新車販売店であるポルシェセンターは全国に44店舗、認定中古車センターは13店舗に上り、日本国内でのポルシェの存在感はますます強まっています。2016年度の登録台数は6,745台を記録し、2018年にはさらに増加が予測されています。この成功の背景には、ポルシェの「Intelligent Performance」コンセプトの推進があります。パナメーラ ターボS Eハイブリッドなどのプラグインハイブリッドモデルの充実に加え、コネクティビティとデジタル化に対応した新しいモデルが続々と登場しています。

ポルシェと日本の歴史

ポルシェが日本に初めて登場したのは1952年のことです。ミツワ自動車が、当時の日本のマーケットにポルシェ356を4台輸入したのが始まりでした。戦後の混乱期で高級車の需要が未知数であったにもかかわらず、ミツワ自動車はポルシェの魅力を日本に広めるために奮闘しました。しかし、1958年に日本政府が贅沢禁止法を発令したため、正規輸入が一時中断されました。

それでもポルシェは日本での地位を築き続け、1965年には911が導入され、ポルシェの名声はさらに広まりました。その後、ミツワ自動車は六本木に本社を構え、ポルシェの販売を続けました。1973年にはカレラRS2.7が登場し、高い人気を誇るモデルとして現在でもコレクターズアイテムとなっています。

日本におけるポルシェの成功要因

日本市場におけるポルシェの成功の鍵は、質の高い製品だけでなく、顧客との深い信頼関係にもあります。ポルシェ ジャパンの代表取締役社長である七五三木 敏幸氏は、「お客様が長きに渡ってポルシェを所有し続けるための施策としてポルシェ クラシックを展開しています」と述べています。これは、販売終了から10年が経過した車両をクラシックとして扱い、メンテナンスやパーツの提供を行うもので、お客様のポルシェ愛を長期間にわたって支える取り組みです。

また、ポルシェはモータースポーツ活動も積極的に行っています。2018年にはポルシェカレラカップ ジャパン(PCCJ)が17シーズン目を迎え、新型の911 GT3カップで争われました。これは、ポルシェのスポーツカーブランドとしての地位を確固たるものにする一助となっています。

ポルシェの未来と日本市場

ポルシェは常に未来を見据えた取り組みを行っています。2019年にはポルシェ初の100%電気自動車、ミッションEが登場し、スポーツカー新時代の幕開けを告げました。ポルシェ ジャパンもこの電動化の波に乗り、日本市場における電気自動車の導入に向けて全社一丸となって取り組んでいます。

一方で、ポルシェの高性能モデルへの需要は依然として高く、日本のポルシェラバーはベーシックモデルよりもGT3などのホットモデルを好む傾向にあります。これは、日本人がポルシェの本質的な魅力を深く理解している証拠とも言えるでしょう。

ポルシェと日本の関係は、1952年の初輸入から始まり、現在に至るまで深く強固なものとなっています。ポルシェ ジャパンの設立から20年という節目を迎えた今、ポルシェの魅力はますます多くの日本人に受け入れられています。これからもポルシェは、革新的な技術と卓越した性能で日本市場をリードし続けることでしょう。ポルシェ ジャパンは、未来に向けてさらなる挑戦を続け、日本のポルシェファンに夢と興奮を提供し続けます。